2007年09月17日(月)

「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る」ヨハネ3:21



アルコール依存症の人は、どこに
行っても、飲酒の誘惑があるから、
止められないのだと言い、ギャン
ブル依存症の人も、ギャンブルが
あるから悪いと言う。つまり、環
境が悪いのだと言う。しかし、同
じ環境にいて、アルコール依存症
にもギャンブル依存症にもならな
い人々が大勢いる。これは環境の
せいなどで無いという事だ。何が
問題なのか。私達も形は違えど、
同様だ。止められない習慣の底に
あるものは、止めたくないのだ。
止められないのでなく、止めたく
ないのだ。思い煩い症の人もいる
が、思い煩っていたいのだ。思い
煩いがないと不安で、思い煩って
安心している。思い煩いが好きで、
思い煩い依存だ。おかしな話だが、
心の底を正直にみるとそうなのだ。
主はいつでも「よくなりたいか」
と問うていて下さる。出来るかと
問われない。「・・たいか」だ。
本当に良くなりたいかどうかだ。
建前でなく本音はどうなのだろう。
良くなりたいのだろうか。環境の
せいにせず、人のせいにせず、自
らの罪を認め、徹底無力を認める
時、主は癒しを与えて下さる。し
ばしば、私達は罪を憎んでいない。
罪を楽しんで愛している。罪には
快楽があるゆえ心地良い。罪を憎
まなくては、主を愛することはで
きない。本音の部分を御霊に照ら
して頂いて、そのまま神に向き合
おう。
------------------
罪を愛し、御霊に従えない。そこ
を認めているのと認めて行かない
のでは大きく違う。光の内にいる
つもりで闇の中にいるなら助かり
ようがない。罪を光の中に出し、
本音の信仰で神様に向かおう。