2007年11月17日(土)

「おとうさん。私は天に対して、罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました」ルカ15:18

アダムとエバが罪を犯した時、アダムは
エバに、エバは蛇に責任転嫁した。神は
「あなたは・・食べたのか」と悔い改め
の機会を下さった。しかし、アダムはエ
バのせいにし、更にはエバを与えた神が
悪いとした。エバは蛇が惑わしたと、蛇
のせいにした。これは、自分が怒ったの
は、怒らせた相手が悪いというようなも
のだ。悔い改めず、罪に罪を重ねて行く。
罪の性質だ。どこかに責任転嫁していれ
ば、自分を見なくて済み、自分が責任を
取らなくて済む。今、自分がこうなった
のは、親が悪い、不幸な生い立ちのせい、
環境のせい、社会が悪い。弁解や言い訳
をするなら幾らでも出て来る。「それは
罪です」と指摘された時に「ですが、あ
あで〜こうで〜こうこう事情があって」
と言い訳するなら、必ず同じ失敗を繰り
返す。なぜなら本心では罪だと思ってい
ない。悪いとは思っていないという事だ。
私達の生き方は私達の選択の結果だ。自
分の責任だ。親でも他人でも環境でもな
い。それを認め無い限り、いつまでたっ
ても、自分の不幸は人や環境のせいにし、
恨んで生きる事になる。自分の選択に、
自分で責任を持つ事が悔い改める事だ。
その時、赦しがまさに自分のものとなり、
平安が臨み、解放されて生きて行ける。
・・・・・・・・・・・
罪を認めたくなくて、言い訳を探し、ど
こまでも自分を正当化したいのが自分の
自我だ。自我に気づいて悔い改める時、
心が楽になり、何にも替えられない平安
を経験する。