2008年02月16日(土)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」ヘブル11:6

信仰者に必要なものは信仰だ。神は霊
であり肉眼では決して見えない。どう
頑張っても見えない。「信仰」という
メガネを通して初めて、神が見える。
「信仰」を通さなければ決して見えな
いゆえに、信じなければならない。神
がおられる事、神を求めるなら報いて
下さる事を信じる必要がある。自分の
願い事を求めるのでなく、「神」ご自
身を求める事が大切だ。そうするなら
必ず報いて下さる。神のために生き、
神ご自身との交わりを求めて生きるな
ら、必ず報いがある、これを堅く信じ
よう。神を求めて歩むとは、御霊によ
って歩む事だ。御霊による歩みと、肉
による歩みがある。御霊の導きを選択
するか、自分の欲望を選択するかだ。
自分の欲望のままに歩むと、自己中心、
偽り、虚栄、貪欲、妬み、そねみ、争
いに向かう。しかし、自分に死んで、
御霊に歩むと、自制の実を結び、愛、
寛容、親切、善意・・の実を結んで行く。
そして、どちらも刈り取りがある。肉
欲に歩むと、周囲にも害毒を流し、自
分の行為の結果を刈り取る事になる。
又、御霊に歩むと、温もりと潤いを周
りにも溢れさせ、証しとなり、実を結
んで行く。神を信じる歩みは決して虚
しいものではない。報いがあり豊かに
刈り取って行く歩みだ。目に見えると
ころに惑わされず、神を信じて歩もう。
・・・・・・・・・
信じた時、従った時、目に見えない神
が見える。御霊の導きに従った時、神
に愛されている事がわかる。信じて従
うほど、ますます愛がわかる。この喜
びと平安と満足は何にも代えられない。