2008年07月18日(金)

「私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負っていません」ローマ8:12

御言葉は「肉」をどう言っている
のか。神は、キリストを罪深い肉
と同じような形で遣わされた。肉
体を取られ、人となられたキリス
トが、十字架で肉の処罰を受け、
肉の全責任を負って下さった。十
字架で肉に対して決着がつけられ
た。私たちの肉は、すでにキリス
トにおいて処罰されているので、
肉に歩む責任は無い。しかし、肉
に歩む責任は無いに関わらず、肉
は私たちに迫って来る。神は「何
も思い煩わないで・・願い事を神
に知っていただけ」と言われる。
「何も」だ。何と感謝な事だろう。
今、あなたのその心配事、その不
安材料もだ。しかし、肉は「そん
な事あるものか。そんな何もかも
神任せなど、無責任だ。心配しな
いでいいはずなどない。ちゃんと
心配しなければ」と言って来る。
肉は、思い煩うべきだと言い、心
配しないと不安なのだ。思い煩う
と安心する。それは肉に従って歩
む責任を、肉に対して負うことだ。
自分の肉も、人の肉に対しても、
それを負い、合わせる責任はいっ
さい無い。肉の声を聞かずに、御
霊の声を聞いて、従って行く事が
大切だ。そして、御霊の導きを受
けた時、自分にはできないと捨て
てしまったり、放っていないか。
その時に、放り投げるのでなく、
「私にはできないので、助けて下
さい」と祈って行く時、できるよ
うにして下さる。肉に従うなら死
ぬが御霊に従うなら、生きる。
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肉の思いを自分で負うなら必ず敗
北だ。肉は主が負って下さった。
恵みを無駄に受けず、十字架をみ
るか、肉を見て行くか、選択して
行こう。