2008年09月17日(水)

「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」イザヤ53:5



ある男性が、過重労働
状態の中、疲労がピー
クに達していた。そん
な中、少しまとまった
休暇が取れた。しばし
休息ができる事に、大
変喜んだ。その休暇に
入った途端、バッグを
どこかに置き忘れてし
まった。自分が行った
場所、通った道筋をす
べて探し回った。あち
こち電話もし、確認し
たが見つからなかった。
カード類はすべて差し
止め、対応に奔走、ひ
どく疲れた。財布には
かなりの金額が入って
おり、がっかり意気消
沈した。免許証はどう
しても困るので、再発
行に出かけた。バッグ
は見つからず、行った
り来たり、走り回り、
ぐったり疲れ果ててし
まった。せっかくの休
暇が、更に疲労してし
まい、これは一体どう
いう事なのか、主の御
前に心を静め、祈り、
御心を尋ね求めた。そ
の時、どんなに物理的
に時間があったとして
も、主の平安が心にな
ければ、何にもならな
い事を思い知らされ、
教えられた。主の平安
がどんなに素晴らしい
もので、感謝な事かに
改めて思いが至った。
私たちも同様だ。どれ
ほど休暇があったとし
ても、主の平安が無く、
思い煩いで一杯なら休
養にならない。主がす
べての思い煩いと心配
を受け止め、主が与え
て下さっている平安に
今一度感謝しよう。そ
して、平安のための十
字架を覚え、いっさい
主に心配をお委ねしよ
う。
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状況がどうであっても
心は、いつも平安であ
るよう主は十字架にか
かられた。思い煩いを
感じたら主を思い、委
ねていこう。