2008年12月18日(木)

「主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており・・そこから、ねたみ、争いが生じ」Tテモテ6:3



高慢とは、御言葉によると、神のことばに同意しないことだ。
御言葉を自分の思いで水増ししたり、差し引いたりする。自分に都合が良い箇所
は同意するが、都合が悪いと同意しない。

それらをすべて自分が決める。それは御言葉の上に、自分を置くことだ。
自分が御言葉を判断することになる。神第一、神中心でなく、自分第一、自分中心
の状態だ。

ある人が、神を知る以前は、自分の価値を、人に認めてもらうために、自分で高め
なければならないと必死だったと証しした。

自分の価値を高める事により、何とか人に認めてもらおうと、いつも平安が無かった。
自分は価値が無いから、価値を何か出来る事でつけなければならなかった。

救われた後、神の愛を知り、このままで愛されている事を知り、自分には全く価値が
無いけれど、今、幸せだと。

しかし、クリスチャンであっても、神第一でなく、自分第一なら、自分の価値を自分
で高めなければならなくなる。
神に愛され価値を認められている、御言葉を信じないからだ。

だから、そこから妬みや争いが生じる。御言葉の通りだ。へりくだりとは、御言葉の
下に自分を置いて、御言葉に真剣に聞き、自分を御言葉に従わせる人の事だ。
御声を聞いて、自分を砕いて従うことがへりくだりだ。
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御言葉を聞きつつも、自分の価値観を選んでしまう時、やはり心に苦い思いが生じる。
心から御言葉に同意しない、自分のうちにある高慢を認め、悔い改めて行きたい。