2025年09月05日(金)

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡され た方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んで くださらないことがありましょう」ローマ8:32



ある宣教師の証しだ。主から宣教師の召しを受けた。道が備えられ
神学校に入学できた。ところが卒業年に、授業料が払えなくなったの
だ。規則では、払えなければ退学だ。必死で祈りに祈った。主は、必
要は絶対に与えて下さるはず、期限も近づく中、祈るばかりだった。こ
れ以上祈れないほど祈った。しかし、とうとう期限が来たが、与えられ
なかった。

仕事を辞めて、遠方の田舎から来た。主の御心を確信したのに、「な
ぜ?」しかし現に与えられず、これも御心であり、田舎に帰る決心をし
た。僚の片づけをしていると、学友が部屋に来た。驚いたが、彼もまた、
授業料が払えず、せっぱ詰まった状況にいた。不足分を聞くと、手持
ち内の金額だった。自分のためには全く不足だが、彼のためには間に
合う。それで、それを彼に上げた。

彼は、非常に驚いて「でも、君はどうなるんだ?」と。「僕はいいんだ。
君がこれで進級できるなら、使ってもらえたら、嬉しい」と。彼は、どう
していいかわからず、申し訳無さそうにしていた。片付けが全部できて、
部屋を出ようとした時に、一通の郵便物が、机に置かれたままだった。
彼が「え?見ないの?」と聞いた。

もうすべてが終わったとの失意で、「もういいんだ。捨てて」と言った。
それで、彼が開けてみると、何と、授業料に十分余りある小切手だった。
二人で抱き合って、大喜びし、主に感謝を献げ、御名を崇めた。今一度、
主の愛に包まれた経験だった。

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よくギリギリまで信仰を試されるが、主は、必要は必ず与えて下さる。
どんな事があろうと備えて下さる。何度も〃経験して来た。主の愛を
知って行く。主に拠りすがり、次は、どのように与えて下さるのか、楽
しみに思えて来る。