2026年09月12日(土)

「私たちは、自己推薦をしているような人たちの 中のだれかと自分を同列に置いたり、比較した りしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分 たちの間で自分を量ったり、比較したりしている のは、知恵のないことなのです」�Uコリント10:12


祭司長や律法学者たちは、常に人の前に生き
ていた。立派な善行をする事で、人々から賞賛
を受け、認められ、評価される事を求めていた。
人からは認められたいが、自分の罪は認めず、
主が救い主である事も認めなかった。私たちも
どうだろう。新生する前は、生まれてからずっと
人との比較の中で生きて来た。

見える所でしか、量れないため、目に見える人
との差異で、自分を量って来た。それしかすべ
が無いからだ。そのため、比較の価値観の中
に生きて来た。救われてからも、培われた価値
観は根深く、主を知りながらも、比較の中に生き
てしまう。そして、どうしても目に見える人からの
賞賛を求めてしまう。人から良く思われたい。嫌
われたくない。好かれたい。

それが強くなると、御言葉ではなく、ひたすら人
から良く思われたい、人を見て動いてしまう。人
から認められて安堵する。それなら基準が御言
葉でなく、人になってしまう。御心からずれてしま
うので、平安な歩みでなく、ますます人からどう思
われているかが気になり、不安と思い煩でいっ
ぱいになる。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたし
はあなたを愛している」の通り、「神に愛されて
いる」その礎から離れず、そこを信じ、そこに立
ち続けよう。そこから比較の解放が始まる。そこ
が不確かだと、人の愛を求めて、迷い出でてし
まう。迷路をさまよう。まず神に愛されている事
を信じ、心を定めていよう。いつもそこに立てる
よう祈っていよう。

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目に見えるので、比較は、どこまでも根深い事に
気づく。御霊の気づきを与えられ、与えられて、
少しづつ変えられて行く。世界にただ一人かのよ
うに、主に愛されている事を覚えよう。