2024年12月08日(日) 「『あなたがたは、いつまでどっちつかずでよろめいているのか。 もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、 それに従え』しかし、民は一言も彼に答えなかった」T列王18:21
「『あなたがたは、いつまでどっちつかずでよろめいているのか。 もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、 それに従え』しかし、民は一言も彼に答えなかった」T列王18:21
エリヤは、アハブにカルメル山に、全イスラエルと450人のバアル 預言者と400人のアシェラ預言者とを集めるようにと言った。アハ ブはそのように集めた。そこにイスラエルの人々と群衆がいた。 エリヤは、それらの人々に向けて叫んだ。「いつまでどっちつか ずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、 もし、バアルが神であれば、それに従え」と。 心に定まりが無く、その場〃で、カメレオンようにころころ変わり、 自分に都合の良い方に従う。イスラエルは、元々神の選びの民 として、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神であるヤーウェを 知っていた。だが同時に、皆がアハブに従い、バアルやアシェラ への偶像礼拝も、現実に行なっていた。 状況により都合の良いように態度を変えた。「冷たくも、熱くもな い。むしろ、冷たいか、熱いかであって欲しい。なまぬるく、口か らあなたを吐き出そう」との状態だった。ヤーウェを拝み、バアル も拝む、このどっちつかずにより、イスラエルに偶像礼拝が大き くはびこった。国を堕落させ、滅びへと向かわせてしまった。 主に従うのでなく、肉は、自分の欲、体面、都合と、主ではなく、 自分中心に向かう。まず、どっちつかずである事を認め、助けを 求める時、主は従う者へと変えて下さる。主の愛を知り、主ご自 身を知る幸せは何にも代えられない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつも自らの現状を認める事から祝福が始まる。肉は強く、自 分の思い通りに、好きなように生きて行きたい。払う犠牲にちゅ うちょし、むしろどっちつかずでいたい。本心を認め、助けを求 めて、ありのままを祈ろう。主は導いて下さる。