2009年03月17日(火)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」ガラテヤ6:7


思考から行為が生じ、行為から習慣が生じ、習慣から人格を生じ、人格から人生
が生じる。つまり、思考を蒔くと、行為を刈り取り、行為を蒔くと習慣を刈り取
り・・となって行く。

人格が形造られて行くのも、思考が一番の基であり、すべては思考から始まる。
思いが重要だ。何を思って生きているかによって、刈り取るものが決まる。

心の中はどうだろう。いつも不平不満、つぶやきだろうか。又は、いつも思い煩
いに支配されているか。又、批判や非難で一杯か。妬みや憎しみで燃えているか。

それらの種を蒔いているからには、そのような人格を刈り取る。常に姦淫の思い
を抱いているなら、行為へと結実させてしまう。即、行為という事はない。その
前に思いを重ねている。

「すべての事について感謝せよ」感謝の種を、心に蒔き続けているなら、感謝の
実を刈り取る。「いつも喜んでいなさい」喜びの種を蒔き続けるなら、喜びの実
を結ぶ。
これは法則なので、例外はない。朝顔の種を蒔いて、ばらが咲く事が絶対にあり
得ないように、蒔かないものは刈り取らないし、蒔いたものは必ず刈り取る。

思いは大切だ。肉に蒔くなら、ますます自我が肥り、そのような人格を培い、御
霊の導きに従うなら、御霊の実を結んで行く。

何を思って生きているだろう。神を思い、恵みを数え、感謝を献げ続けよう。

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感謝の種を蒔いて、感謝の実を、信仰の種を蒔いて、信仰の実を刈り取ろう。
「御霊に従う者は、御霊に属することをひたすら考えます」。思いは重大だ。常
に思考している事の実を刈り取る。神を思い、御言葉を思っていよう。選択だ。