2009年05月17日(日) 『主の使いは彼に言った。「・・敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ」民数記22:32
『主の使いは彼に言った。「・・敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ」民数記22:32
私たちは誰しも、痛い目に会う事、苦しみ、問題は回避したい。苦しい目には会 いたくない。 又、思い通りにならない事が生じると、順調な歩みを阻止される。問題に阻まれ て、先に進めなくなってしまう。苦しみや悩みが、好きな人などいない。そこで、 痛くて辛い事態を、避けて通りたいと思ってしまう。 何とか逃れたいと思う。しかし、神は、私たちが間違った方向へ進まないために、 行く手に障害物を置かれる場合がある。私たちを立ち止まらせるためだ。 運が悪かったのではなく、たまたまそうなったのではなく、神の取り扱いだ。不 運なのではない、又、そこに関わっている相手を責めるのではなく、そこに神の 取り扱いを認めることだ。人のせいでも、環境のせいでもなく、そこに神を認め よう。 その状況の中で、神のメッセージを受け取ろう。何を教えたいのか、何に気づか せたいのか。何を言っておられるのか。 今、あなたの行く手が阻まれているなら、状況がどうのでなく、まずそこに神を 認めよう。神が立ちはだかっておられる。その道はもしかしたら、違うのかも知れない。 神はバラムに「彼らと一緒に行ってはならない。その民を呪ってもいけない。祝 福されているからだ」と言われたに関わらず、出て行くバラムに、主の使いが立 ちはだかった。 目の前の状況に神を認め、自分の思いでなく、神の御心を尋ね求めよう。そうす るなら必ず正しい道に導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 時に、自分では御心と思っているが、反対方向に向かっている事がある。神が立ちはだかって止めて下さる。もし神の介入が無ければ、間違った方へ進んでいただろう。ストップがかかれば、よくよく祈ってみよう。御心が別の方向にあるのかも知れない