2009年06月13日(土)

「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」使徒8:1

「何でこんな事が?」時に、突如の苦しみが襲う。

しかし、実はこの迫害こそが、取りも直さず、神の新しい働きのために、みわざ
の前進のために用いられたのだ。

「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人
となる」との御言葉の通りに、人々が散らされ、福音がエルサレム以外の地域に
宣教され始めた。教会の新しい働き、神のみわざは突如開始されて行った。

迫害自体は大きな苦しみ、痛み、不都合だったが、振り返る時、神の御旨の成就
であったとわかる。

同様に、すべてを見通す神の目からは、御旨が着々と成し就げられて行っている
事が、すなわち私達にとっては大きな苦しみ、悩み、困難の形となって現れる事
があるという事だ。

ヨセフも異国に売られ、無実の罪で投獄され、厳しい患難の中を通ったが、実は
イスラエルが存続するため、家族を救うために、予めエジプトに送られたのであ
った。

今、あなたにとって「何でこんな苦しみが?」「どうして?」と理解不能の事態
が目の前にあるかも知れない。

しかし、苦悩の迫害が、実は地の果てまで証人とされて行く、御旨の成就であっ
たように、神の目からは、正しく事が進んでおり、先には素晴らしい結実が待っ
ている。
今はわからないが、信じていよう。神に間違いはない。良い事のための計らいと
される。

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痛い、しんどい事が起こる。その事自体は苦しく辛いが、大きな神のご計画の一
環であり、パズルが埋まって行くように、その先に確かな結実がある。状況に飲
み込まれてしまわず、神様視点で見ていよう。