2009年08月17日(月)

「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」マタイ6:21



「宝」とは富、金銭に限らず、名誉、地位、能力、人の評価、賞賛等、とにかく、その人にとって非常に大切なものの事だ。命ほどに大事なものだ。
そして、財産、富、栄誉、賞賛、能力、それ自体は何ら悪いものではない。

決して罪でも悪でもない。しかし、主は、それらを拠り所とし、しがみつき、人生の判断基準とするなと言われる。「自分の宝は、天にたくわえなさい」地上のものに執着するのでなく、神に望みを置き、天国とそこでの素晴らしい報いに望みを置くようにと言われている。

その理由は@「虫とさびで、傷物になり」地の宝は虫やさびでだめになり、朽ちてしまう。上等の大切な衣服が虫に食われた経験があるだろう。地の物は虚しい。

A「盗人が穴をあけて盗み」名誉、地位、賞賛は永遠ではない。
富も持って死ねない。永遠のためには何の価値もない。

B「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」これは重大だ。宝が地のものであれば、心は地に縛りつけられたままだ。神に向く事はない。貪欲は底がない。幾ら得ても足らない。満ち足りるという事のない虚しい罪だ。

逆に言えば、心を神に置きたければ、あなたの宝を、時間、富、労力を、天に送って行けばよい。そうすれば、必然的にそこに心があることになる。
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私達のする行為の一つ一つが心が神様に向かってするものでありたい。神様はそれを喜んで受け取って下さる。時、富、労、愛のわざを自分のためにとって置かず、惜しまず天に送って行きたい。