2009年09月16日(水)

「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」ガラテヤ8:5



「互いの重荷を負い合いなさい」とあり、一人では負い切れない重い荷がある時、助けてもらい、又、人を助ける事は必要であり、大切だ。相互に助け合う事が必要だ。又、同時に、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷がある」とも言われている。

重荷を負い合う事が必要だが、負って上げる事のできない、又、自分も人に負って貰うことのできない、独自の重荷があるということだ。自分のなすべき事を放ったまま、人の世話ばかりしているのはおかしい。

神は混乱の神ではなく、秩序の神であり、秩序正しく導かれる。自分の責任と人の責任をきちんと区別する事は大切だ。
その人自身に負うように与えられている荷は、代わって負うべきではない。干渉すべきでないところまで入るなら、逆にその人をダメにし、損なって行く。

親が子供を転ばせたくないので、石をことごとく取り除いて、道をつける。
逐一指図する。子供の人生を親が乗っ取ってしまって、子供のために良かれと気づかない。親の人生でなく、子供自身の人生だ。

又、「ノー」を言う事は大切だ。「ノー」が言えないので、断ることができず、人の言うがままになり、荷を負わされる。人の荷を嫌々引き受け、心は苦痛と
怒りで一杯になる。問題の原因は「ノー」が言えないからだ。私たちの日常はどうだろう。
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相手を受け入れ限界まで親切に、と願いやすいが、相手の立場や自分の責任をきちんと見極められるよう知恵を求めよう。いま無理しているかもしれないと感じる事があるだろうか。