2009年11月16日(月)

「子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか」ルカ11:11



ある人に、夜中に友人が来た。隣人にパンを頼んだが、迷惑
だと断られた。しかし、尚も執拗に求め続けた結果、隣人は、
うるさくて、一刻も早く去って欲しいがゆえに貸してくれた。

しかし、神は違う、神はそうではないという事を言っている。
隣人は迷惑だから与えてくれたが、御父は、しつこさゆえに
ではない。私たちを極みまで愛しておられる御父は、愛ゆえ
に与えて下さるのだと。

モニカの祈りは有名だ。放蕩息子のために、何年も祈り続け
た。祈るほどに、息子はますます堕落、しかし「涙の子は滅
びない」との言葉に励まされ、尚も祈り続けた。

そんな息子がローマへ行くと言い、ローマは大歓楽の地、身
の滅びだ。行かないように祈り続けた。しかし、祈りに関わ
らず彼はローマへ。が、結果的にそのローマで、彼は回心し
た。祈りは見事に答えられた。

時に私たちも経験する。祈っているのに、事態は全く改善し
ないどころか、むしろ更に悪化して行く。何で?祈っている
のに。祈れば祈るほどますます悪化するように見える時、尚
も祈り続けよう。その先に答えがある。神に間違いはない。

すべての結果が、即、出て来るのであれば、私たちに信仰や
忍耐を培われることは無い。信仰によって歩む事も無い。
神を信頼すること、それゆえ祈り続ける事を試される。

私たちはインスタント的に、ただ答えが欲しい。自分の望む
ものが欲しいだけだ。
しかし神はもっと良いもの、御言葉を信じ、神を信じて歩む
という根本的な事を培い、与えて下さる。
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私達は祈りを聞いていて下さる神様を知っている。自分の望
むものが簡単に手に入るもの喜びだが、今も祈りを聞いて下
さっている方によって最善が与えられるとの信仰を増し加え
て下さる事が何よりも嬉しい。