2009年12月17日(木)

「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです」マタイ11:6



バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法を、はっきりと間違っていると言い、その結果、投獄された。ヨハネは正しい事をしたのであり、神は正義なる方、自らの投獄は理不尽であり、何の罪も犯していない。

神の御前に誠実に歩んだのであり、主が、何らかの対処をして下さるはずと思っていたに違いない。しかし、投獄されて、幾日も過ぎても、何の音沙汰もない。何も起こらない。

イスラエルの王国を打ち立てられ、王権を取られるのではないのか。牢獄の中でヨハネの思いは、いかばかりであったろう。それで、弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも〜」と問わせた。

主はその時に、弟子たちに「自分の聞いたり見たりしていることを報告」、つまり、目の前の「事実」を告げなさいと言われた。「盲人が見、足なえが歩き〜」これは、救い主が来た時の預言だ。

ヨハネが自分でわからない限り、わからない。つまり、人に幾ら説得されても、自分で受け取とうとしない限り、わからない。自分で御言葉を真剣に受け止め、真摯に向き合う時に、御霊の助けで真理がわかるようにされる。

私たちも心に自分の思いや偏見があれば、神が見えず、物事が捕らえられない。自分の先入観や自分の判断を除けて行く時、正しく神が見えて、御心がはっきり見えて来る。目の前のこの事に神を見、過去のあの事にも神が見える。
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救い主の預言は、待ちわびている人々にとっては希望の光だったはずなのに主を目の前にしても、奇跡を見てもわからない。自分の知恵や賢さに邪魔されず、主に出会えた者はなんという幸か。