2010年02月14日(日) 「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ・・いと高き方のようになろう」イザヤ14:13
「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ・・いと高き方のようになろう」イザヤ14:13
私たちは、皆、主によって罪が赦された。しかし、まだ肉の性質があり、主に拠 り頼まなければ、肉は罪を犯してしまう。血潮により罪赦されているが、今後い っさい罪を犯さなくなるわけではない。 私たちの犯す罪の内、最たるものは何だろう。ある著者は、その罪を私たちが他 人の中に見つけるなら、非常なる嫌悪感を持つが、その同じ罪が自分の中にある と気づく人はほとんどないと言っている。 その罪とは、高ぶり、プライドといったものだ。明けの明星が天から落ちたのは、 この高ぶりだった。高慢はサタンの最たる特徴だ。アダムとエバが犯した罪も 「あなたがたは神のようになり」という高慢だ。カインはアベルの献げ物だけが 受け入れられた事に嫉妬し、弟を殺害した。プライドが傷ついたためだ。 人々が「天に届く塔を建て、名をあげよう」とバベルの塔を建てたのも高慢のゆ えだ。サウルがダビデをつけ狙ったのも、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打 った」との女達の言葉がプライドに突き刺さった。 プライドは神を愛する事の対極にある。プライドは自らを高め、自らを神とし、 人より上でなければ気が済まない。自らの破れた状態を知り、無力を認め、へり くだり、ただ神の愛ゆえに今ある事を知る人は、神を「愛して」行く。「プライ ド」と「愛」は、決して相容れないものだ。 ・・・・・・・・・・・・・・ プライドでしか生きる事の出来ない者を、まず主が愛して下さった。ご自身を卑 しくし、死にまで、十字架の死にまで従い、贖って下さったご愛、自分を捨てら れない者のために「私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子」を じっと見つめよう。