2010年04月16日(金)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」Uコリント3:16

   

ある人が、クリスチャンになる前は、他人の事が気になって仕方がなかった。人と自分を比較して一喜一憂の日々であり、他人が成功すると、心の中に妬みが湧き上がった。信仰持ち、しばらくは意識しなかったが、又、湧き上がって来た。

職場では同僚を、教会では他の信徒を妬んだ。そして神学生になった時には、同期生を妬んだ。どうしても比較して、張り合ってしまう。表は友人だが、心の中では競争相手となる。余りにも心が苦しくて、辛くて、主の御前に心を注いで祈った。

その時に、神視点に立たせて下さった。神の御名が崇められ、神の働きが成し遂げられているではないか。それぞれの人には、それぞれ別の賜物が与えられていて、その賜物で神のために仕えている。神の働きが前進していて、神の栄光のためである。神視点に立った時、その時、心に嫉妬ではなく、御霊の喜びが来た。

神が喜ばれ、神の栄光が現れていることが嬉しかった。以前は自分が中心であり、自己中心にすべてが回り、自分を軸にしている。だから、比較により自分を確認するので、人が賞賛を受け、高められると、あたかも自分の値打ちが下がったように感じる。面白くないし、落ち込んで喜ぶことなど出来ない。

しかし、神に視点を置く時、自分の見方が変えられて行く。神を見上げる事は信仰であり、その時、御霊が働かれるからだ。
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様々な出来事を通して神様は自分の弱さ、足らなさを示してくださる。状況ではなく神に目を向ける時、窮屈にしているものが自分の側の問題だとわかり、そこから自由にされる。