2010年08月17日(火)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3


プライドは人間の慢心であり、プライドは他者と常に競争する。プライドは相対的であり、何かを所有すると満足なのでなく、相手よりも良いもの、より多く所有しなければ気が済まない。人気や地位で満足せず、誰かよりも人気があり、誰かよりも地位が上でないと満たされない。

プライドは本質的に比較の上に立っていて、自分が満足するために他者が必要なのだ。サウルはダビデに嫉妬し、常に競争した。それは女たちが笑いながら、繰り返し歌った事による。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」。サウルが千を打っただけなら良かった。何の問題も無かった。しかし、ダビデと比較された事で、妬みが燃え上がった。

その妬みは憎悪に、そして殺意へと増幅して行った。ダビデが自分より上である事が、絶対に許せない。対抗心と敵対心にがんじがらめになった。このプライドは、最初、エデンの園で、エバに蛇が来た時、「神のようになれる」との誘惑だった。プライドを巧妙に刺激された。「神のようになりたい」「自分が一番」「相手より上」これがプライドであり、自我の罪だ。

このプライドは誰しもにあり、自分の力ではどうにも出来ない。自らの無力を認め、明け渡し、御心に従って行く時、主がへりくだった者と変えて下さる。謙遜とは、神に聞き従うことであり、従う時に変えられて行く。
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放っておけばどうしても自分が一番になり、人に認められて初めて安心する者だという事を神様の前で正直に認めて行こう。へりくだる事が出来ないから、高ぶりに気づますよう、この御言葉に従えますようにと神様の助けを祈って行きたい。