2011年01月17日(月)

「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30


くびきとは、平板に穴を二つ開けて、二頭の家畜の頭部をその穴に入れ、同じ方向へ進ませるものだ。あちこち別の方向へ向かず、同方向へ進むので、人が御する事ができて、農作業に役立つ。「負いやすく」は「身体にフィットして快適、心地良いこと」だ。

くびきはその穴にしっかり首を入れると、快適で心地良いが、それを拒否し、嫌がり、抵抗すると、首が締め付けられる。自分で、自分の首を絞める事になる。自分の思い通りに、歩もうとする者には、そのくびきは自らを締め付け、苦痛で、辛い、嫌なものとなる。無ければよいもの、自分を阻止するものでしかない。

あなたにとって、くびきはどちらだろう。自分に与えられたくびきをしっかり受け入れる時、そのくびきは、むしろ平安と主にある喜びをもたらしてくれる。しかし、受け入れようとしない時、それはあなたを苦しめる。ただ辛くて痛いだけだ。どうしても受け入れ難いものなら、祈ろう。神が助けて、受け入れられるにして下さる。

あなたにとって目の前の状況だろうか。今の役割か、部署か、又、対人関係だろうか。嫌で嫌で、受け入れられないなら、平安が無く、喜び無く、悶々状態で苦しいばかりだ。心砕いて、受け入れて行く時、全く同じ状況の中で、心は解放され、自由にされ、安堵と平安を経験する。あるがままを主に告げよう。受け入れられるよう、助けて下さる。
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自分ひとりで負うのではなくくびきの隣には主が共にいて下さる。重くて負いきれないと抗うのではなく、主と共にしっかりと負い、主と語りながら主と同じ方向に歩んでいこう。