2011年03月17日(木)

「『慰めよ。慰めよ。わたしの民を』とあなたがたの神は仰せられる」イザヤ40:1

イスラエルは、彼らを通して諸国民が救われるよう、選びの民とされた。しかし、約束の地に入れられ、生活が豊かになると「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と高ぶった。神は、何度も警告された。「主があなたに富を築き上げる力を与えられ」たのだ。その事を忘れるなと。

人は、順調な日々には、神を忘れる。恵みを忘れ、高慢になって自分の力で生きて行く。何もかもが、当然になり、恵みは当り前となり、感謝が失せる。こんな時、神は愛ゆえに、試練を送られる。もし、放っておかれたなら、それこそ滅んでしまう。民もバビロン捕囚という試練を送られた。砕きであった。

エルサレムがバビロンによって滅ぼされ、国土を失い、家を失った。異国への捕囚の身となり、苦難の中に入れられた。歳月を経て、一世は亡くなり、次の時代になった頃、人々はそれなりに暮らしが成り立っているが、かつての信仰心は失せ、何を拠り所に生きて行けば良いのか、心は空虚で穴が開いていた。

そんな時に、諦め果てていた、祖国帰還のメッセージが語られた。労苦は終わり、咎は償われ、二倍の報いが来たと。慰めの時が来たと。私たちも目の前の状況がどんなに暗く、望み無く見えても、必ず夜の後に朝は来る。トンネルは必ず出る。
解放される。永遠に立つ、神のことばによって生きるという、真の慰めが与えられているとは、何という幸いだろう。
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このような状況の中でイザヤ書のみことばは何と心強いことだろう。目を高く上げて主を見上げていよう。問題は山積で心は落ち着かずにいるけれど、主が寄りそい、慰め、今も支えていて下さることを思い、不安の淵から立ちかえろう。