2011年05月17日(火)

「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです」マタイ11:6

バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法を、間違いをはっきりと指摘した。その結果、投獄された。ヨハネは、自分は正しい事をしたのであり、神は正義なる方、投獄は理不尽であり、自分は何の罪も犯していない。神の御前に誠実に歩んだのであり、主が、何らかの対処をして下さるはずと思っていただろう。しかし、投獄されて、幾日過ぎても、何の音沙汰もない。何も起こらない。

イスラエルの王国を打ち立てられ、王権を取られるのではないのか。牢獄の中でヨハネの思いは、どんなものであったろう。それで、弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも〜」と問わせた。主はその時に、弟子たちに「自分の聞いたり見たりしていることを報告せよ」、つまり、目の前の「事実」を告げなさいと言われた。

「盲人が見、足なえが歩き〜」これは、救い主が来た時の預言だ。ヨハネが自分でわからない限り、わからない。つまり、人に幾ら説得されても、自分で受け取とうとしない限りわからない。自分で御言葉を真剣に受け止め、真摯に向き合う時に、御霊の助けにより、真理がわかるようにされる。

私たちも心に自分の思いや偏見があれば、神が見えず、物事が正しく捕らえられない。自分の先入観や判断を退けて行く時に、神が見えて、御心がはっきり見えて来る。目の前のこの事に、神を見、過去のあの事にも神が見えて来る。
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固い価値観が妨げとなり、つまずきとなっているなら、そこを示されるよう祈ろう。頑張って頑張ってと自分で立てている信仰だろうか。目の前の主を真っ直ぐに素直に見られますように。