2011年07月17日(日)

「見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の 目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からもちり を除くことができます」マタイ7:4


私達は自分の欠点は見えないが、人の欠点はすぐ目につく。よく見える。そのた
め、すぐに相手を責めてさばく。しかし、裁くのは相手の欠点というよりも、だ
いたいは、相手が自分の思い通りにならないから、裁いているのではないだろう
か。

自分の思いで相手を見ていないか。皆、それぞれ自分の物差しがある。自分の思
いがあり、それが梁だ。「自分の物差し」というメガネをかけて見るので、歪ん
で見える。まっすぐにありのままに、見る事が出来ない。そして、物差し同士が
ぶつかる。

自分に偏見は無いか。自分の目は歪んでいないか。もしかして「自分の見方が間
違っていないか?」に立ってみよう。「自分は正しい」に立つ時、それが梁とな
り、全く見えなくなる。

相手の目から、ちりを除く作業は、御霊に導かれない限り不可能だ。目はデリケ
イトで敏感、ちょっと触れられてもすぐ閉じる。心も、土足で入ろうとするや、
瞬時に固く閉じる。まず自分の、自己義、独善、偏見の梁を除いて、自分も間違
う者であり、失敗する者である事をわきまえよう。

その時、御霊に導かれ、はっきり見えて、相手のちりを除くために、神が用いら
れる。梁がある自分の目には、相手が正しく見えていない。御霊の光に照らされ、
自分の梁に気づかされ、自分の梁を取り除けることから始めよう。

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「自分の目に梁がある」と言われる。歪んだ見方をしていないか、偏見は無いか、
自分の見方が間違っていないか、御霊様に探って頂こう。御霊の光に照らされて、
自分が正されて、御霊の愛の中で、兄弟の目からちりを除くために用いられる。