2011年09月16日(金)

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」Uペテロ5:5



ある人が、職場で、やりにくい嫌な相手がいた。話すと、どうしてもギクシャクしてしまう。相手にトゲを感じ、段々、話すことも苦痛になり、自分の心も重苦しく、その事を祈り始めていた。祈っていると、相手の短所、嫌な所ばかりに目が行き、そういう見方しかしていない自分に気づいた。相手を嫌い、裁いていた。相手にトゲを感じていたが、実はトゲを出していたのは自分だった。

丁度「高慢」についての学びがあり、「ご自分を無にして、仕え者の姿をとり」「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われた」キリストの姿に、自らの高慢、自己中心、愛の無さを示された。悔い改め、へりくだりたいと、その事に心を向けて祈っていた。そんな時、仕事の事で相手と話をしていた時、自分が変えられている事に気づいた。

和やかに普通に話ができ、相手を嫌い、裁く思いが消えていた。自分がへりくだろうとして祈る時、主が働かれる事を見せられた。こちらが心を開くと、相手も変わってしまった。どちらかが変わると変わる。又、例え相手が変わらなくても、自分の心は平安にされる。悔い改めて主に拠り頼む時、主は働かれる。常に相手のために祈るので、愛が与えられ、その苦手な相手が、仲の良い相手に変わってしまった。
--------------
自分に良くしてくれる人しか愛せない自分だ。裁く思いが沸き起こる時にその裁くものさしを自分に向けてみよう。自分の内にある梁に主が気づきを与えて下さる。