2011年10月17日(月) 「エサウは言った『私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった』」創世記27:36
「エサウは言った『私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった』」創世記27:36
年老いたイサクはエサウに祝福を与えようと、獲物の料理を持って来るようにと言った。それを聞いた妻リベカは、弟ヤコブのほうにその祝福をと画策した。視力の衰えているイサクを欺き、エサウの振りをし、ヤコブは祝福を奪い取った。そこにエサウが戻り、事の次第を知った。イサクは激しく身震いし、エサウは大声で泣き叫んだ。企みを知ったエサウは怒りでヤコブを殺そうとした。それで逃亡し、叔父の所へ身を寄せるはめになった。家族が皆傷つけ合い、バラバラで、家庭崩壊だ。 どこに問題があったのか。イサクは「兄が弟に仕える」との神の御心が示されているに関わらず、自らの肉の思いで兄エサウを偏愛した。リベカはヤコブを溺愛し、神を信じ、神の主権のもと、神がされる事を待ち望むのでなく、肉で、自分の欲と力で画策し祝福を奪った。ヤコブも神の計画を信じ、委ねるのでなく、母に言われるままに父を欺き、自力で奪い取った。エサウは長子の権利を豆の煮物と引き換えた。「長子の権利を売った俗悪な者」とあり、彼は長子の権利を軽んじた。 皆が神を仰ぎ、神に従うのではなく、自己中心に、肉の欲と思いで動いた。夫婦、親子、兄弟が、ぐちゃぐちゃだ。神は大きなご計画の中で、これらすべてを益として行って下さったが、しかし、ここで学べる。肉で、自分の思いで動くのでなく、神の主権を認めて、神を待ち望み、委ねて歩む事がいかに大切であり、祝福であるかを。 ------------ 神の御心を無視し自分の思いで押し進めて行っても、いつかは崩れ破滅する。神が私達一人一人にご計画を持っていて下さりそして、全てのことを成し遂げて下さるとはなんと感謝なことだろう。