2012年03月17日(土) 「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」ヨハネ 3:27
「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」ヨハネ 3:27
群衆の人気が、主イエスの登場により、ヨハネから、どんどんそちらへと移って 行った。ヨハネの弟子たちは「みなあの方のほうへ行きます」と、自分の師を思 うがゆえに、いらだち、妬み、寂しさを感じていた。 しかし、ヨハネは動じず、自分はキリストではないとはっきりと言明し、主が主 役の花婿で、自分は花婿の友人であり、花婿の声を聞いて喜びに満たされている と言った。ヨハネは、人は関係なく、自分と主との間で、喜びをもって仕えてい た。真に主に仕える者は喜びに満たされる。そこに満足がある。 そして、ヨハネは謙遜だった。人を見て、人と比較する時、必ず妬みが生じる。 妬みは比較から来る。優越感や劣等感を行ったり来たりする。同僚の昇進、学生 間の成績や人気、又、ライバルの成功など、心穏やかでいられない。プライドが 傷つくのだ。人の成功を、自分の失敗のように感じてしまう。人が誉められると 自分がけなされたように感じる。それらは高慢から生じる。 ヨハネはへりくだっていた。人の栄誉も成功も、与えられるものは、すべては天 からであり、神の御手を認めた。そして、神の与えて下さる自分の分に感謝し、 満足していた。そこには不平も不満もない。すべての事柄に、主の主権と支配を 認める時、そこにへりくだりがあり、心に感謝と平安が臨む。自分に与えられて いるものに満足できる。 ・・・・・・・・・・・・・・・ ヨハネは、すべての事に、主の主権を認めていた。すべては、地からでなく、人 からでなく、天から来る。それゆえ、主にすべてを委ねて、安んじていた。天の 支配を認めて、与えられるものに満足して行くなら、どんな中でも動く事のない 平安で満たされる。