2012年06月16日(土) 「もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊に よって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:1 3
「もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊に よって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:1 3
この地上の信仰生活で、祝福された人生を送るために、主に従うこと、つまり御 心を「行なう」ことが大切だ。岩の上に家を建てるとは、御言葉を聞くだけでな く、聞いた御言葉を実行する事であった。いかに御言葉を生きるかという事であ るが、しかし、私たちは幾ら頑張っても、御言葉を実行する力は無い。 あなたも経験しただろうか。パウロが「私は、自分でしたいと思う善を行なわな いで、かえって、したくない悪を行なっている」と告白している。「善をしたい という願いがあるのに、それを実行することがない」と。御言葉は「聖なるもの であり、正しく、良いもの」だ。 御言葉は「霊的なものであり」、しかし、「私は罪ある人間であり」肉だ。だか ら、肉で霊をどうにも出来ない。では、どうすれば良いのか。「私は、ほんとう にみじめな人間です」とパウロが叫んだように、自分には出来ない、自分は無力 であることを認めることだ。 そして、自分には出来ないのだから、神に拠り頼んで行く。自分を明け渡して、 頼んで行く時に、肉でなく、御霊が働いて成し遂げて下さる。御言葉は霊である から、霊である御霊がなされるなら可能だ。 御霊が実行させて下さる。御霊に従って歩む時、出来ないのでなく実行すること が出来る。今、無力を感じているだろうか。それなら大きな祝福の門口だ。主に 拠り頼もう。主のみわざを見る。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 「私の肉の内に善が住んでいない」とあり、善が住んでいないので、どうにもな らない。肉に従うなら死=自分の力で行なうなら、出来ない。「できません」 「助けて下さい」と自分を明け渡して行く時に、御霊が働かれ、従って行ける。