2012年08月17日(金)

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」ヨハネ15:9



エデンの園で、アダムとエバは、どの木からも思いのまま食べて良い、しかし、善悪の知識の木からだけは、食べてはいけないと命令されていた。すべての木は食べて良く、たった一本の木だけだった。だが、サタンは悪意を持って巧妙な言い方をして来た。「どんな木からも食べてはならないと、神は本当に言われたのか」と。

どの木からも自由に食べて良い、一本だけ禁止されたのを、すべてが禁止かのような、思わせぶりな言い方をした。そして暗に、神はお前たちを愛してなどいるのではない。善悪を知るようになられるのが嫌なのだと、何か下心があるような物言いをした。悪魔はここでも見るように、神は愛ではないと執拗に暗示して来る。もろに神の愛を否定して来る。

試練の時は、苦しみを与える神は愛ではない。神が愛なら苦しめなどするはずがない。悪魔の語りかけに耳を傾けて行く時に、その通りだと同意してしまう。その思いの目で状況を見る時に、神が愛だと思えなくなる。又、この上に成育歴や、古い人による根深い価値観が加わるので、神は愛ではないと欺かれてしまう。

こんな時こそ、見た感じや、思いに騙されないで、「信仰による価値観」に立つことだ。「神は愛」だと言われる。自分の感覚でなく、御言葉を選択し、そこに立ち続けることを選択する。その時、神視点に立ち、信仰によって、神が愛であることが見えて来る。
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問題が起これば誰しもパニックになりサタンの煽りにつぶされそうになる。問題に立ち向っている兄弟姉妹が隣にいないだろうか。神の愛、神の守り、哀れみ、全ての神の御約束に立っておれるよう、祈り励まそう。