2012年09月14日(金)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」イザヤ55:8



私たちは、今まで生きて来て、様々な人生経験を持つ。その経験から、あるところまでは、こうすればうまく行き、こうすれば失敗するとわかる。親が子供に、良かれと思い、ああしろ、こうしろと、うるさく口出しするのは、ある程度、自分の経験でわかるからだ。しかし、時に、主の言葉は、その私たちの経験と真逆のことを語りかけて来る。

例えば、経済的に困窮して来た時には、経験によるなら、とにかく支出を抑えて、収入を増やす事が鉄則だ。まず、献金を渋るかも知れない。ところが御言葉は真っ向から正反対の事を言う。更に献げよと。そうするなら豊かになり、増やされると。経験による知識はそんな事があろうかと思う。しかし、理解できなくても、語られた御言葉に従う時、実際に思わぬ所から豊かに与えられて、主の言われた事が本当であり、真実だと驚く。


主の言葉と自分の経験が異なる時、大丈夫なのだろうか、うまく行くのだろうかと、不安になる。「立ち返って、静かに」「恐れないで、ただ信じていなさい」に、事を起こさなくて、自分が動かなくて、信じているだけで、本当に大丈夫なのかと。
しかし、理解できなくても、自分の経験と合わなくても、従う時に、大きなみわざを見る。主は私たちの理解を越えている。自分の経験による知識だけで生きるなら、主を知ることが無い。御声に従ってみよう。
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神様を信じているつもりでも実際は、信仰と自分の価値観の二本立てで歩んでいることが、問題に出会うとはっきり示される。「神の道は異なる」だから信じて従えますようにと祈るところからはじめたい。