2012年10月17日(水)

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」箴言19:21


人の心には、多くの思いがあり、プランがある。次から次へと、思いは湧き上がる。あれをしよう、これをしなくては、あれも、これもした方が良いのでは・・と。すれば良いこと、良い行ないは山のようにある。必要は、数限りない。しかし、その事は、本当に主のみこころなのか。今、自分が最優先にすべき事なのか。よく祈り、考えてみよう。

多くの良いプランを思いつくが、それが良い事だけに、祈りもせずに、進めて行ってしまう。しかし、良い行ないが、最優先すべき御心だとは限らない。主は、沢山の必要が目の前にあった。大勢の群衆は次から次へと、ひっきりなしに、主のもとに来る、目まぐるしい状況であった。しかし、主は、際限の無い必要に応じられたのではなく、御心を行なわれた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です」。

そして、「主のはかりごとだけが成る」、御心を行なってゆくことが大切だ。よく主の御前に静まって、祈り、際限の無い良い行ないではなくて、主の御心を求め、示され、行ってゆこう。多くの良い行ないが、邪魔をしてしまっているかも知れない。「私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えて下さった」、善行を何でもかんでもするのではなく、主が備えて下さった良い行いにあずかってゆくのが信仰生活だ。
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あれもこれもと手際よくできればと祈り、良いことの全てが主の御心と思ってしまう。マルタのようだ。主が今日、私のために備えて下さっている良い行いは何だろう。動き出す前によく祈ってみよう。