2013年07月17日(水)


「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1

アブラハムは「わたしが示す地に行け、大いなる国民とする」との示しに従い、75歳の時に生まれ故郷を出た。しかし、サラとの間になかなか子供はできず、100歳で、妻のサラに子供が与えられた。25年間待った。その間、数々の失敗もし、苦しみを通りながら、神の訓練を受けた。

ヤコブは、父もエサウもだまして、家におれなくなり、逃げるように遠方の叔父のもとへ身を寄せた。そこで、神の御手により厳しい訓練を受けた。叔父にだまされ、ラケルをめとるのに14年をかけた。だましたヤコブはだまされた。20年間、暑さ寒さの中で苦しい労働をした。「あなたをこの地に連れ戻す。約束したことを成し遂げるまで決してあなたを捨てない」約束通りに、神の時に連れ戻された。

ヨセフは訓練に次ぐ訓練であった。兄たちに、隊商に売られてエジプトへ、エジプトでは全くの無実の罪で牢獄へ。神が正義なら、なぜこんな事に?ヨセフへの訓練であった。苦しい歳月であったが、宰相へと導かれた。境遇を通して、ヨセフは、主の御手により砕かれ、練られ、鍛えられ、築き上げられた。

ダビデは、サウル王に命を狙われ続け、つけ回され、常に死と隣り合わせであった。逃亡を続け、その恐怖、不安はいかばかりだったろう。この恐怖、この状況がいつまで続くのかと訴えている。訓練は、辛く悲しく苦しいが、主の器と造り変えられて行く。そして、その渦中では、苦しみが永遠に続くように思えるが、主は「時」を定めておられる。「私の時は、御手の中にあります」。神の時に、事態は動き、成就して行く。
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神様は目的もない導き方はされないので、痛く苦しい時が、本当に感謝であったと後に思えるよう、目の前の時や営みのすべてを信仰の目で見ていこう。神様が握り支えて下さっている。