2013年08月17日(土)

「私はこのようなことをして、大きな罪を犯しました。今、あなた のしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことを しました」T歴代21:8             

         
ダビデは人口調査をして罪を犯した。「サタンが、ダビデを誘い込
んで、人口を数えさせた」とあり、サタンの誘惑だった。部下のヨ
アブが王に進言した。なぜ、そんな事をして罪過ある者となられる
のかと。しかし、王はヨアブを説き伏せ、人口調査を実施させた。

それは神の御心を損なった。この事のゆえに神はイスラエルを打た
れた。主のなされたわざを、自分の功績のように思った高ぶりの罪
であった。ダビデは大きな罪を認め、罪の赦しを求めた。そして3
日間の疫病という主の懲らしめを受け入れた。あわれみ深い主の手
に陥ることを選んだ。

私達はどうだろう。主の御手から逃げようとしないだろうか。主の
懲らしめを甘んじて受けるという態度でなく、誰かのせいにし、誰
かを責めて、言い訳し、自分を正当化するだろうか。又、主に向か
ずに、ひたすら自分を責めるだろうか。

サウルは自分のした事を後悔はするが、主のもとへ行かず、霊媒の
ところへ行き、最後は自殺してしまった。しかし、ダビデは、主の
もとへ行き、主の手に陥りたいと願い、主に委ねた。私たちもダビ
デに見習おう。

失敗した時、罪を犯した時、隠れたり逃げたりせず、どんな時も主
のもとへ行き、悔い改め、主に委ねよう。そしてまたそこから主に
従おう。主のあわれみは尽きず、深いのだから。

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ダビデには大きな失敗があったが、罪を認め、悔い改めた。主に完
全に赦されたからこそ、懲らしめを受け入れることができた。赦さ
れるとは、何と安堵と平安に満ちることだろう。赦されて赦されて
いつも平安の中を生きて行ける。何というあわれみだろう。