2013年09月15日(日)

「私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりませ ん。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わして くださったのです」創世記45:5 

  

ヨセフは、父親の偏愛により、兄達から妬まれ憎まれ、エジプトの
隊商に売られた。ヨセフにとれば、どんなに苦しい、理不尽な事だ
ったろう。異国の地で、家族と引き離され、一人で恐れと不安のど
ん底だったろう。しかし、主は、エジプトの地で、主人の厚意と信
頼を得るようにされた。主が、主人に働かれた結果だった。

しかし、主人の妻から濡れ衣を着せられ、無実の罪で投獄に。何と
波乱の人生だろう。長期に渡る牢獄生活、しかしそこでも、やけに
なったのでなく、模範囚として仕えた。夢を解き明かし、やっと釈
放かと希望を持つと、忘れ去られて、尚も獄中のまま。

神に忘れ去られ、見捨てられているのか。しかし、実際はこのよう
な厳しい、苦難の中で、ヨセフは砕かれ、その信仰は練られ、鍛え
られ、強められて行った。ヨセフは、運命や偶然にほんろうされて
いるのではなく、神の御手の内であり、計画だと見ていた。すべて
は必ず最終的に益とされる、摂理の神を信じていた。

やがて兄達と再会した時、背後に神の計画を見ていたので、「あな
たではなく、神がそうされた」と赦す事ができた。自分中心の視点
なら、どこまでも兄達への募る恨みと憎しみだけだ。しかし、自
分視点でなく、神の視点で見た。そのため「あなたでなく、実に、
神」と言えた。

あなたの対人関係はどうだろう。嫌いな人を見るなら、恨みと憎し
みだけだ。しかし、そこに神を見る時、あなたを訓練し、砕き、成
長させるために、神がその人を送られている。「あなたでなく、実
に、神」であり、新しい恵みに立てる。

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ヨセフは摂理の神を信じた。辛い、苦しい、悲しい事は、ご計画の
内であり、最終的には益となり、祝福とされる。偶然でなく、運命
でなく、たまたまでなく、「実に神」であり、神の支配を認めた。
状況の背後の神を見て行こう。まず心が変えられる。