2013年10月16日(水)

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40    


  

ガリヤラ湖を渡り、向こう岸へ行こうとしていた小舟が、突然、嵐に襲われた。主は「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われ、必ず向こう岸へ着くのであり、それまで眠っておられた。それで、弟子たちで嵐に対応していたが、舟は波をかぶり、水でいっぱいになった。プロの漁師である弟子たちは、嵐をよく知っているからこそ、恐れを抱き、危険を感じた。このままでは舟は沈没し、自分たちは溺れて死んでしまうと、彼らは慌てふためいて、パニックになった。

そこで主は、と見ると、この非常事態の中で、平然と眠ったままだ。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」と不満気に主を起こした。主は向こう岸へ渡ると言われる。しかし目の前の現実は、向こう岸に渡るどころか、沈没寸前だ。御言葉と見える所と、どちらを信じるのかと試される。

弟子たちは主に従った結果、嵐に会ったように、私たちも信仰生活で、嵐に会う。嵐によって信仰が試される。御言葉「向こう岸へ渡ろう」と、目の前の状況である「嵐」が相反する。その時に、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」のように、どこまでも主と御言葉を信じて行けるよう祈ろう。

「信仰はどこにあるのですか」。真の問題は、嵐ではなく「信仰」だと言われた。信じることが出来ないことを、まず主に告げて行く時、落ち着いて信頼できるよう助けて下さる。
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どんな嵐の中でも主と共に安心して眠っておれたらと思うが信仰は揺れ、必ず祝福になることを忘れ「主よ、早く何とかして下さい!」と祈る。必ず主の栄光を拝する時が来る。落ち着いて信じていよう。