2013年12月17日(火)

「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:57


神に従うためには、神に目を向け、御心に従おうとの意識的選択が必要だ。オートマチックではない。又、人格や個性や意志が無くなるのではない。夢遊病者のように、意志に関係無く、勝手に従って行けるのではない。意識して、御霊の導きの方を選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。主に拠り頼む必要がある。

神が、勝手に私たちを操って、従わされるのではない。それなら操り人形であり、ロボットだ。また、神が、私たちの代わりに、私たちの意志を無視して、されることもない。詩編記者は自分の道を顧みた。

私たちはどうだろう。日々の生活を、自分自身を顧みることは大切だ。全く顧みることのないまま、日々の忙しさに、流されてしまっているだろうか。主との交わりから遠ざかってしまっているか。御霊の示しを、導きをなおざりにし、引き延ばし、ぐずぐずしているか。記者は、主のさとしの方へ「足を向け」た。足を向ける必要がある。

祈ったのでなく、実際に行動した。今、主の御心に、自分の足を向けるよう、具体的に従うように導かれているなら、実行しよう。「急いで、ためらわずに」とあるように、ぐずぐずしていると、気力が萎えて、必ずできなくなってしまう。いつしか、御霊の促しが消えてしまう。大きな祝福を逃してしまう。今日、足を向けて、主の仰せを実行しよう。
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忙しく主との交わりのないまま過ごしていると、心は益々ざわざわ落ち着かなくなる。それも御霊様の示しだ。立ったままでも祈れる。主との交わりの中で自分を吟味し主の導きを仰ぎ足を向けて行こう。