2014年03月16日(日)

「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、別の方を待 つべきでしょうか」マタイ11:3 


バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法をはっきりと指摘した。ヘ
ロデが自分の妻を追い出して、弟の妻をめとったからだった。ヨハ
ネは、投獄されてしまった。不義を裁く主は、ヘロデを制裁される
はずではないのか。しかし何も起こらない。

又、ヨハネが思い描いていた主と、その牢の中で、伝え聞く主の姿
が違っていた。「手に箕を持たれ、殻を消えない火で焼き尽くされ
る」、悪を裁く正義の審判者であるメシヤを思っていた。ところが、
裁き主でなく、人を慰め、病人を癒し、罪を赦している。

それでヨハネは弟子たちに「おいでになるはずの方は、あなたです
か。それとも、別の方を待つべきか」と問わせた。主は、その弟子
たちに「自分の聞いたり見たりしていることを報告せよ」、つまり
目の前の「事実」を伝えよと言われた。

「盲人が見、足なえが歩き〜〜」これらは、メシヤが来た時のしる
しだ。そして「わたしにつまずかない者は幸い」とヨハネに伝える
ようにと。つまりは、自分がメシヤだと言われたようなものだ。そ
して、主はヨハネのことを、「預言者よりもすぐれた者。女から生
まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんで
した」と言われた。

主はヨハネを認め、評価し、愛し、慈しんでおられた。ある人々は
奇跡により剣の刃を逃れ、ある人々は、さらにすぐれたよみがえり
を得るために殉教した。皆、違う道を歩み、それぞれに託された御
旨があり、総決算はこの世ではなく、天にある。
又、真摯な疑問は、直接、主に問えばよいことを教えられる。主は
その問いに答えて下さる。

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今、目の前の事態が御心なのか、それとも別に御心があるのだろう
か、そんな状況にあるなら、主に、直接問うてみよう。祈りに答え
て下さり、様々な方法によって、主は御心を示して下さる。