2014年04月16日(水)

「主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ・・』」出エジプト16:16



出エジプトを果たしたイスラエルの民は、紅海が分かたれるという偉大な奇跡を見た。主を賛美し、大いなる感謝と喜びに包まれた。ところが、荒野に出て3日歩くや「水が無い」とのつぶやきだ。次に食物が無いと不平不満をモーセにぶつけた。エジプトで死んだ方が良かったとまで言い出した。

民の救出のために、あのような奇跡をされ、更に雲の柱、火の柱で共にいて導いていて下さるのだ。しかし、主はそれに答え、天から日々にマナを降らせ、夕にはうずらの大群を降らせられた。このマナは1日分だけと命じられていた。翌日は降るのか不安で、朝まで取っておくと腐った。朝毎に各自食べる分だけ取り、残ったものは、日が高くなると溶けた。

主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。どうだろう。1日分と言われても、隠れて明日の分、いや1週間先まで、集めるだけ集めておきたい・・もし、降らなかったら?主を信じられなかったら、そうするだろう。主は来る日も〃40年間、毎日マナで養われた。これは、主により生かされているという事実を叩き込もうとされた。

「神が生かして下さっている」「神により生かされている」これを心底知るなら、思い煩いから解放される。日々様々な形で、主に頼り、御言葉に従う訓練が、私たちにも与えられている。信じようとしないなら、一生、主を知ることがない。頭の知識だけで終わってしまう。御言葉に、言われた通りに従ってみよう。
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神によって創られ、生かされているとだとの最初の確信がなぜ思い煩いの不信仰に流されてしまうのだろう。焦りや迷いはくり返し来るが御言葉は何と約束して下さっているのか、それを信じ抜こう。