2014年06月16日(月)

「なぜ取り乱して泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです」マルコ5:39




ヤイロという会堂管理者が、今にも死にかけている娘のために、主
のもとにやって来て、助けを求めた。それに応えて、主がヤイロと
一緒に行かれる途中に、長血の女性が割って入った。娘は危篤であ
り、一刻を争う。それなのに妨害が入り、ヤイロの心は気が気では
なかったろう。彼女が癒された時、使いが来て娘の死を告げた。も
う主に来て頂く必要はないと。

ヤイロの心はどんなものであったろう。絶望が襲おうとする瞬間に、
主は御声をかけられた「恐れないで、ただ信じていなさい」と。
別訳では「主はその話している言葉を聞き流して」、「主はその言
葉に注意を払わず、心に留めず」となっている。不信仰な言葉は、
聞き流す必要がある。心に入れてはならない。

信仰の言葉である、御言葉を心に入れて、不信仰な言葉は入れずに、
シャットアウトすることだ。不信仰の言葉を入れると、不安、恐れ、
疑心暗鬼に支配され、不信仰に侵食されて行ってしまう。心に握る
のは「恐れないで、ただ信じていなさい」との主の言葉だ。

家に着くと、人々は大泣きし、わめき取り乱していた。娘はすでに
死んでいた。目の前の現実であった。だが、主は「死んだのではな
い、眠っている」と言われた。人々は嘲笑った。主の言葉が理性に
合わないからだ。しかし、その言葉通りに、娘は生き返った。どの
言葉を受け入れ、どの言葉を聞き流すか、私たちの心が守られるた
めに非常に大切だ。
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目に見える現実が絶望的であればあるほど、もう駄目だと不信仰の
声に支配されてしまう。主はいつもどう言われていたか、目の前の
状況に振り回されない主の御言葉を聞いてただ信じていよう。