2014年08月16日(土) 「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわってい る人々に分けてやられた・・彼らが十分食べた」ヨハネ6:11
「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわってい る人々に分けてやられた・・彼らが十分食べた」ヨハネ6:11
アンデレが人々の中を、探し回った時に、お弁当を持っている少年 を見つけた。「大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています」 と。「小さい」魚と言っている。アンデレは、あるいは主が何かを して下さるという期待があったので、人々をかき分け探し回った。 しかし、見えるところ余りにも小さく「こんなに大ぜいの人々では、 それが何になりましょう」。あるいは何かして下さるのではとの信 仰、しかし、こんな微少なもの何になろう、男だけで五千人もの 人々に焼け石に水・・。 しかし「イエスはパンを取り、感謝をささげ」、主はそのパンを受 け取られた。「こんな小さなもの」とは言われなかった。それを受 け取り、奇跡をなして下さった。欲しいだけ与えられ、皆が十分食 べて、満腹した。なおも余ったものが十二のかご一杯になった。ど んなに小さくても、何の問題もない。 大切な事は、主のもとへ持って行くことだ。「こんな小さなもの、 何の役に立とう」「こんな僅かなもの、献げるも献げないも同じよ うなもの」と思ってしまうが、それを主にお献げするなら、その微 少のものを用いて、神の栄光を現して下さる。 小さなもので構わない。「ここには・・ほかありません」「それを、 ここに持って来なさい」。主に献げるよう示されているなら、主の もとへ持って行こう。 ・・・・・・・・・・・ 主は、どんな「小さな」ものをも、受け取って下さる。持てるもの がどんなに僅かでも、主のもとに持って行く時、自分をも、周囲を も満腹させ、主の栄光を現わされる。時間、労力、富、自分自身、 示されたなら、主のもとへ携えよう。