2014年10月17日(金)

「信仰がためされると忍耐が生じると いうことを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい・・成長を遂げた、完全な者となります」ヤコブ1:4 



「忍耐」を、主を知る以前の「我慢」のように思ってしまいがちだ。
忍耐と我慢は異なる。我慢は、そこに神が無く、とにかく苦しみが
去るように、去るようにと、頭を抱え込んで、しゃがみ込む状態だ。
そこに何の希望も持てない。

忍耐とは、積極的な、前向きの意味があり、神が必ず良くして下さ
ると、信じることだ。今は確かに辛いが、この事が必ず益となり、
祝福となると信じて、苦しみの中で主を待ち望むことであり、そこ
には光と希望がある。

そして「信仰が試されると、忍耐が生じる」とあり、この忍耐=神
が良くして下さると信じる力は、試練から生まれると。試練を通し
て信仰が養われる。辛い時は、信仰が培われるチャンスだ。まず主
に心を向けて、あるがままを祈って行けばよい。心の辛さ、苦しさ
を告げて、助けを求めればよい。

私たち誰しもの願いは、信仰の成長ではないだろうか。信仰は使う
時に、成長して行く。訓練によって、筋力が強くなって行くように、
辛さ、苦しみを通して、信仰を使う事によって、信仰の筋力が強く
なって行く。

ある人が、事情により、働く事ができず、経済的困窮に陥った。収
入が無い状況というのは初めてで、最初はほとんど恐怖で、パニッ
ク状態だった。しかし祈る時、主は真実に与えて下さった。何度も、
繰り返し〃、祈る度に、必要が満たされた。不安は襲い来て、苦し
い中だったが、忍耐が与えられた。主は、与えて下さる事を信じる
ようにされた。
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自分や状況や人に期待して忍耐するなら、今日は我慢できても明日
は待てないかもしれない。神に信頼し必ず良くしてくださると今日
を委ねていくのが忍耐なら、信仰をもって平安に待っていられる。