2014年11月16日(日) 「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい」マルコ11:25
「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい」マルコ11:25
信じて祈る時、素晴らしい約束を与えて下さっている。しかし、次 に続く言葉がある。「だれかに対して恨み事があったら赦してやり なさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがた の罪を赦してくださいます」赦す事を強調されている。 赦さない心は、祈りを妨げるので、祈りが天に届かなくなる。神が、 あなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦しなさい と。私たちは、しょっ中、失敗する。しかし主は豊かに赦して下さ っている。罪を犯さないのではなく、罪は犯してしまうが、赦され て、全面的に赦されて生きている。 それだから私たちも赦すようにと。まず恨み事や憎しみ、赦せない 心があると、祈れない。神と私たちの間に、へだたりができてしま うからだ。距離を感じ、確信をもった祈りができなくなる。あなた も経験あるだろうか。 ある人が、急な、切実な必要があり、神の御前に出て祈っていた。 しかし、祈りに祈るのだが、なかなか与えられない。 徹夜祈とうさえ辞さずとの勢いで、祈っていた。すると祈りの中で、 普段は意識していないが、ある人々に対し、明確な恨みと赦せない 思いがある事を、御霊は示された。心から悔い改めて、その人々を 赦した。 その後、見事に祈りが答えられた。赦さない心は、祈りを妨げてし まう。密かな恨み、赦さない心がないかどうか、御霊に心を探って 頂こう。 ・・・・・・・・・・・・ 人を赦すことは、自分の力ではできない。幾ら赦そうとしてもでき ないことを知る。しかし、主が「赦してやりなさい」と言われるか らには、赦すことができる。出来ない事を認めて、委ねて行く時に、 自分の力でなく、御霊によって、そうできるようにされる。