2015年02月14日(土)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互い に人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3


信仰人生に様々な事柄が起きる。嬉しい事、喜ばしい事、幸せな
事があると同時に、辛い事、悲しい事、苦しい事も必ず起きて来る。
そして私たちは、辛い事が起きた時に、その不幸の原因を、環境の
せいにしたい。対人関係の問題は多い。あの嫌な人がいるばかりに、
職場が辛い。あの人さえいなければ・・あの上司、あの同僚さえいな
ければ、快適なのに・・。

悩みの原因として、特定の人が浮かび、その人のせいと、憎しみが
湧くだろうか。神がおられるなら、なぜこのようになっているのか
と、不満だろうか。しかし「主はその愛する者を懲らしめ」とあり、
懲らしめは愛だと言われる。今は、わけがわからない、理解できな
い事が起きていても、主の動機は「愛」だと。

祈り込んで行こう。主が教えようとされている事があって、見えて
来る。自分の中の出っぱっている所が削られる。高慢か、プライド
か、虚栄心か。どうしてその相手が嫌なのだろう。自分の内の、何
に触れるのだろう。時に自分の中の、自分が嫌な、受け入れ難い部
分があって、それを相手に見る時に、相手を嫌うと言われている。

相手でなく実は自分を嫌っていて、自分の問題となる。又、へりく
だる事を学ばせられているかも知れない。ひざを折って、主の御前
にへりくだること、それは同時に相手の前にもへりくだることだ。
主が学ばせたいと思っておられる事が、受け取れるように祈ろう。

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対人関係に、困難な状況に、反応する自分の内側に目を留めてみよ
う。自分の内の何に刺さるのか、何に触れ、引っかかるのか、主は
大きな成長を与えようとして下さっている。自我が砕かれる時だ
ろうか。へりくだる者と造り変えて下さる。