2015年03月17日(火)

「宴会の世話役は・・それがどこから来たのか、知らなかった・・しかし水をくんだ手伝いの者たちは知っていた」ヨハネ2:9



カナの結婚式で、ぶどう酒が無くなった時に、主は、水をぶどう
酒に変える奇跡をされた。その時に、手伝いの者たちに80〜120リ
ットルの水がめ6ヶに、水を汲むよう命じられた。手伝いの者たち
は、ぶどう酒が必要なのに、なぜ水を汲むのか、何の意味があるの
かわからないまま、主の言われるままに水を汲んだ事だろう。

しかし、その水こそがぶどう酒に変えられた。世話役や式に出席し
ている人々は、何もわからないまま、最高のぶどう酒を味わい、楽
しんだ。だが、そこに神を認めることは無い。しかし、弟子たちは
違った。それが主のみわざだと知っていたので「それで、弟子たち
はイエスを信じた」。

主は日々、私たちの日常生活の中で、みわざをなされ、働いておら
れる。しかし、主を認めなければ、それは偶然であり、たまたまそ
うなっただけだ。運が良かったのであり、主に感謝することなど無
い。そこで主を知ることもない。私たちはどうだろう。日々、主の
ご愛や配慮を認めることなく、起きる一つ一つの出来事を偶然だと、
流していれば、世話役や式の人々と同じになってしまう。

そうでなく、この1日は主から来ている。主によって家族が、仕事
が、すべての必要が与えられているのであり、状況、環境も主の御
手の中だ。当然ではなく、当たり前ではなく、主からのものだ。そ
こに焦点を当てて、この1日を見る時に、弟子たちのように、主の
みわざを認めることができる。感謝が溢れ、更に主を信頼して行く
ことになる。
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主に頼り、お言葉に従った者だけが、ぶどう酒がどこから来たかを
知っていたように、置かれたポジションに主を認め今日を感謝して
歩もう。主の恵みが注がれている。