2015年05月17日(日)

「彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、 主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした」 ヨナ1:3

 

ヨナはニネベ宣教へと神の示しを受けた。しかしニネベは敵国であ
って、それはヨナの気に入らなかった。港に行くと、丁度渡りに舟
で、反対方向の船があり、神に従わず、それに乗ってタルシシュに
逃亡した。まさに「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆ら
う」だ。ヨナの自我が御霊に逆らう。

しかしそんなヨナに、神の愛は決して変わらず、見捨てられない。
神は大嵐を起こし、その結果ヨナは海に投げ込まれた。神は大きな
魚にヨナを飲み込ませ、ヨナの命を救い守られた。この後もヨナは
ニネベの人々が悔い改めると、機嫌を損ねる。これぞ肉、自己中心、
わがままだ。ヨナは自分の姿だろうか。

自分の思い通りにならない事に、心屈折させ、すねていないか。そ
んな自分を明け渡す時に、御霊に従って生きる事ができる。ヨナは
3日3晩その魚の腹にいた。神はヨナを魚の腹に隔離され、そこで
一人きりであった。神の御前に置かれた。

私たちも余りに多忙で祈る時間、考える時間すら無くなると、世の
凄まじい勢いに飲み込まれ、自分を見失ってしまう。神の御声を聞
けなくなる。主のための時間が無いほど、忙しいなら要注意だ。生
活を見直してみよう。
又、今、御心に従いたくなくて、御顔を避けようとしてるだろうか。
まず、ありのままの気持ちを主に訴えよう。主は受け止めて下さっ
て、従えるように助けて下さる。

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「主の御顔を避けて」の通り、主の御心を避けたい時に、また丁度
良く、反対方向への舟があるものだ。御心をそれさせようとのサタ
ンの誘惑が来る。その時、祈りを向けよう。祈りにより大きく守ら
れる。祈りは力だ。