2015年07月16日(木)

「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上 に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」マタイ7:24 


たとえ話の二つの家は、一見、同じような家だった。しかしある時、
ひどい嵐が来て、その時に、二つの家の違いが明確になった。岩の
上の家は、どんなに強い風雨が吹きつけ、洪水が押し寄せても、び
くともしなかったが、砂の上に建てられた家は、倒壊してしまった。

外側、同じであったが、その違いとは、それぞれの家の土台にあっ
た。土台とはイエス・キリストであり、又、主の言葉を聞くだけで
なく、聞いて実行することであった。砂の上に建てた人も、御言葉
を聞いてた。しかし実行することが無かった。御言葉を聞いて、従
う事がないということは、実際は、御言葉を聞かなかったというこ
とになる。物理的には、聞いていたかも知れないが、心の耳で聞い
ていない。

御言葉は「従います」の姿勢がある時に、聞こえて来る。そして聞
いた御言葉から信仰が起こされる。「信仰は聞くことから始まり、
聞くことは、キリストについてのみことばによる」。「どうであれ、
従いたいです」の姿勢がある時、御言葉は心に入って来る。そして
「主であるわたしがこれを語り、これを行なう」「みことばは、あ
なたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、
あなたはこれを行なうことができる」。

語られた御言葉は、御霊の力によって行なうことができる。一つ一
つと、主に従って行く人生は、どんなに厳しい試練が来ても、立ち
行くことができて、決して倒れることがない。

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御言葉を行なおうとする時に、どうしても祈り主に頼る。頼らずに
は実行できないからだ。祈って、頼って、行なって行く。そこで信
仰を用い、又、信仰が試され、主を経験して行く。しかし聞いて行
わなければ、祈る事も、頼る事も、信じる事も無い。変わって行け
ない。