2015年10月17日(土)

「外側から人にはいって来る物は、人を汚すことのできない、とい うことがわからないのですか・・人から出るもの、これが、人を汚す のです」マルコ7:18



生まれつきの価値観では、外側から入るものが、人を汚すと思って
しまう。この世の価値観がそうなっているからだ。環境が悪かった、
生い立ちが不幸だった、社会が悪いせい・・だから、子供は非行に走
り、又、大人は犯罪を犯すと。環境さえ良くなれば、社会さえ良く
なれば、人間は良くなる。悪しき影響を取り除けば良いのだと。

しかし、聖書は正反対のことを言う。環境が、決して人を汚すので
ない、環境が人を汚すことはできないと。人は、罪を犯したから罪
人なのではなく、罪人だから罪を犯すのだと。環境が良ければ、善
人になるのではない。「義人はいない。ひとりもいない」、環境は
関係無く、人の心から出るものが人を汚す。「悪い考え、不品行、
これらの悪はみな、内側から出て人を汚す」。

様々な悩みや問題、ぶつかり合い、争い、それらは、関与する人々
の心から出て来る問題だ。すべてが心から出て来て問題を引き起こ
す。心に原因があり、心から出る「罪」が人を汚す。自分の内側の
汚れが、うすうすわかっているが、それに向き合う事は痛い、辛い
事なので、逃げてしまう。

不平、愚痴だらけの人は、自分を棚上げにし、いつも周囲の誰それ
の事ばかりを言う。相手ではなく、問題は自分の内側にある。まず
その事に気づき認めよう。その時、解決が始まり、平安へと導かれ
る。環境さえ良ければ、相手が良ければ平安なのでなく、自分の内
の罪を知り、主の血潮に赦された時に真の平安が来る。

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人は環境が悪いと思っている。だから平安なく苦しいと。しかし御
言葉は、環境も状況もいっさい関係無いと言っている。外側の問題
ではないと。でなければ常に環境にほんろうされる事になる。問題
は自分の心にある。気づきから、平安へと導かれて行く。