2015年12月17日(木) 「『わたしに何をしてほしいのか』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです』」マルコ10:51
「『わたしに何をしてほしいのか』すると、盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです』」マルコ10:51
主が弟子たちとエリコを出られると、盲人のバルテマイが、道ばた に座って物乞いをしていた。イエスだと聞くと大声で「私をあわれ んでください」と叫び始めた。大勢でたしなめても、止むどころか ますます叫び立てた。この方なら目を開ける事ができると信じたか らこそ、叫び続けた。人目など全く気にしなかった。 主へのその真剣な熱心な求めが、主をしてバルテマイの目を開かせ る事になる。「上着を脱ぎ捨て」上着はガウンみたいなもので、毛 布にもなり、敷物にもなり、当時の大切な無くてはならぬ生活必需 品だった。施し物を受けるために必要で、上着を地面に広げていた 事だろう。大事な商売道具でもあった。その上着を捨てたという事 は、絶対に癒されるとの確信を持っていた。 バルテマイは盲人であり、物乞いによって生きるこの現状、どうに もならない諦め、どうにか生きて行ける、このままでいいではない かとの安住、それを捨てた。そして、信仰をもって、全身で主に拠 りすがって、願い求めた。この方なら絶対に目を開けて下さると。 その通りに目が開かれて、新しい一歩を踏み出した。それは自分の 思い通りの人生を歩み出すのでなく、主の行かれる所について行き、 一生涯を主に献げ、主に従って行くための一歩だった。 ----------------- 肉眼で見えてはいても、どこを通っているのだろうかと迷いやすい 者だ。主を見ているのか、主と共に歩んでいるのか、いつも主から 教えられながら確かな一歩を進めたい。