2016年01月17日(日)

「みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけら れなかったからです」ヘブル4:2



私たちは、「神を信じている」と口では言い、そう思っているつも
りだが、ある部分において、本当に信じているかどうかわからない、
自分の内で、肉が強いところがある。例えば、「あなたは高価で尊
い、あなたを愛している」と言われ、「あなたは高価だ」「価値が
ある」と言われても、素直に受け取ることができないのが本音だろ
うか。

受け取っていないので、頭では、教理ではわかるのだが、もう一つ
神から愛されているという実感が無い。心の底の底を探ると、自分
が高価だなどと、愛されているなどと、信じられない。否定してい
る。信じていなかったりする。

神の言葉でなく、自分の思いの方を信じている。神の言葉を受け取
らない。信じようとしない。どこからそれが来るのか。生い立ちの
中で、親からずっと、お前はだめだと言われ続けたのかも知れない。
幾ら頑張っても頑張っても認めてもらえなかった過去があるかも知
れない。

それらは無意識の領域の中にあり、自分でも意識していないかも知
れない。もう一つ神がわからないと言う時、心の底はどうだろう。
そのままの気持ちを、その通りに祈ってみよう。わかっている振り
をせず、自分はだめだと落ち込むのでなく、そのままを主に告げよ
う。その時初めて、あるがままの自分が愛されていることがわかる。
主の愛を実感して行く。心が耕されながら、御言葉が根付いて行く。

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神と距離感があり、実感が薄い時、信じているふりをせず、わかっ
ているふりをせず、そのままの思いを主に告げて、祈って行こう。
その時、自分の内のどこが問題で、どこが原因かを教え導いて下さ
る。