2016年05月17日(火) 「イエスは・・シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた」ルカ5:3
「イエスは・・シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた」ルカ5:3
ベテラン漁師であったペテロが、前夜不漁であったにもかかわらず、 「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」との主の言葉 を信じ、網をおろした。朝に魚などいるわけはない。そして更に、 昨夜は一匹たりとも捕れなかった。「でも、おことばどおり、網を おろしてみましょう」と、常識に反してでも、主のその言葉に従っ た。 なぜ、網をおろすことができたのだろう。まず、漁から戻ったペテ ロは、舟から降りて網を洗っていた。しかし、その時、群衆は押し 迫るようにして、主から神の言葉を聞いていた。群衆が押し合いへ し合いでどうにか聞こうとしているのに、ペテロは背を向けて、聞 いていなかった。徹夜の漁で更に獲物もなく、心身疲れ果てて、早 く帰って休みたかったろう。聞く気もなかった。 そんな時、主が舟を少し漕ぎ出すよう頼まれた。舟から群衆を教え られた。ごった返していた群衆に、主の声もよく通り、聞けた事だ ろう。そして、ペテロは、自分の舟なので、主が御言葉を語られる 間、仕方なく舟の中にいた。しかし、その主の言葉を聞かざるを得 ない状況で、目の前で御言葉を聞いたこと、それが、「でも、おこ とばどおり」網を下ろすことに至った。 ペテロが、生ける言葉を聞いた時に変えられたように、私たちも生 ける神の言葉を聞く時に変えられる。そしてペテロに機会が与えら れたように、私たちにも機会が与えられる。その時に心して耳を傾 けよう。そこからみわざが成されて行く。 ------------ 聞いていると思っていても、実は主の深いあわれみによって与えら ている機会だ。「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとし ていることです」日々新たに御言葉に向き合おう。