2016年06月16日(木) 「また、なぜあなたがたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3
「また、なぜあなたがたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3
「梁」とは屋根を支えるために、柱と柱の間に渡した横木で、大き な頑丈な丸太だ。「ちり」は目にも見えないほどの微少、極小のも のだ。他人のそんな極小のちりはよく見えるが、自分の目にある丸 太は見えないということになる。なぜあの巨大な丸太が見えないの か不思議だが、「自分」中心に「自分の」メガネをかけて見ている 時、何も見えなくなる。 「自分の」価値観の中で見ているからだ。つまり、自分は正しいと いう事で、相手がおかしくて、間違っている。自分は正しいと信じ 込んでいる。その「自分は正しい」のメガネで判断するので、いっ さい見えなくなってしまう。そうすると、暗闇なので、ますます自 分は正しく、人は間違っている事になる。 アダムとエバが善悪の知識の木の実を食べた時から、人は神によら ずに、「自分で」善悪を判断するようになった。そのため、自分の 目が曇り、自分の目に偏見があれば、その目で見るものはすべて歪 んで見える事になる。悪いのは自分以外で、自分はますます自己正 当化して行く。自分のことが見えていないということが、認識でき ない。 こういう状態であれば悲しい。御霊がこの暗闇状態を照らし出して 下さる時に、初めて自分の梁が見える。御霊の光により、正しく御 心の方向へと導かれる。信仰生活、御霊の気づきが何よりも感謝だ。 矯正され、新たにされて導かれて行く。 ----------------- 人の中にちりが見えると、自分は優位に立っているように思える。 大きな勘違いだ。いつも自分の立ち位置を御霊の光の中に見ていこ う。自分の中に太い梁がある。