2016年08月17日(水)

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」エペソ6:11



神は私たちに、語りかけ、御心へと導かれる。しかし、心に聞こえ
てくる声をすべてが神の声なのではない。神の声と、そうでない声
がある。サタンは神を真似て同じ事をするので、神は御声をもって
語りかけられるが、サタンも同じように語りかけてくる。サタンは
私たちが動揺する事、混乱する事、感情的になる事柄を熟知してい
て、的確に攻撃してくる。

どの一言で、悶々と悩み、落ち込むかを知っている。どの部分が弱
いかを知っている。思い煩いの強い人には心配事に、プライドの高
い人にはプライドに、妬みの強い人には、そのところに、そこに一
言の火矢を投げて来る。過去の出来事の中から、的確に掘り出して
来る。すると、サタンだと気づかずに、自分が思っているとしか思
わず、悶々状態に陥る。

又、肉からの自分の声も聞こえて来る。心の中は様々な声が行き交
い、混線状態だ。神からの御声は平安が伴う。時には非常に痛い指
摘があるが、しかし心の底に平安がある。そしてそこに愛がある。
愛から発せられる御声だからだ。そこには赦しがあり、静かな御声
だ。

神以外のものは、がなり立てて、責め立てて来るもの、又、急かし、
不安、混乱させるものだ。又、自分を誇らせる。それは、必ず御言
葉と合致する。御言葉に反するものであれば、神からではない。祈
りの中で、平安な御声をわからせて下さる。
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主の御心である平安や愛を取り去り、怒りや焦りを吹き込むサタン
の存在を常に認識していよう。コントロール不能な怒りや不安は、
ありのまま祈り、光にひき出すとすっと消えていく経験をする。