2016年11月16日(水)

「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1 


過ちを犯した人を見る時、いら立ってしまったり、そのようにすれ
ば、そうなる、自業自得だと裁いてしまったり、受け入れ難くなっ
てしまいがちだ。自分にも罪の性質、肉の性質があるからだ。しか
しこの箇所によると、もし過ちを犯した人がいるなら、そのままに
しておかずに、その人を正してあげなさいと、ある。

「御霊の人であるあなたがたは」とあり、まず自分が問題で、自分
自身が御霊に導かれている必要がある。自分の心もよく探られ、ま
ず自分の罪を悔い改め、よくよく祈り、御霊からの言葉、導きを受
け取ることが大切だ。その時、自分の思いや自分の力でなく、御霊
がこの対応を導かれるとの平安が来る。

そして自分自身がよく整えられ、「柔和な心で」が大切だ。ただ真
理の言葉で責めるのではなく、「愛をもって真理を語」れと。その
人の立場に立つ時、自分も罪を犯すかも知れない。ただ責めるので
なく、自分も弱い者であり、相手を思いやる気持ちで接する時、御
霊が働かれて、相手の心に届く。御霊が、相手に罪を示し、悔い改
めへと導かれる。

ナタンは神から示され、罪を犯したダビデに対応した。ストレート
に責め立てたのでなく、例え話を用いて、ダビデに考えさせた。御
霊は働き、罪を指し示された。そしてダビデは悔い改めへと導かれ
た。ナタンは用いられた。もし御霊の示しがあるなら、従おう。主
が働かれる。
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人の過ちに気付くと遠くから裁いてしまいがちだがそれも大きな罪
だ。人の罪を指し示すのは御霊に導かれた祈りと犠牲が伴う。主に
そのように示されたなら御霊によく整えられて柔和な心で向かおう。